結局その日はユキヒロは精神的ショックから開放されず
オレはずっと一緒に居た。
ベッドで一緒に横になってユキヒロを抱きしめていた。

「大丈夫やから…オレが守るから」

同じような事しか言えない自分が不甲斐なかったが
ユキヒロはそのたびにうん、うん、と頷いてくれた。
夜が明けてコーヒーを淹れていたら電話が鳴った。
ユキヒロと二人でディスプレイを覗き込んだ。
番号が表示されている。
ユキヒロを見ると無言で首を振った。知らない番号らしい。
オレはゆっくり受話器を上げた。

「もしもし…」
「あーどうも、野方署の者ですが、名取さんのお宅?」
「ええ、そうです。何か分かったんですか?」
「いやね、あのスタンガンですがやはり指紋は出てません」

予想していたとはいえ、手掛かりがこれで一つ消えたわけだ。
オレは小さく溜息をつく。

「でもね、あのスタンガンねえ、連続放電時間がたったの8分なんですよ」
「8分!?たったの?」
「ええ、ですから目撃情報などもかなり絞り込めるんじゃないかと」
「ちょ、ちょっと待って貰えますか?」

オレは保留ボタンを押してユキヒロに言った。

「あのスタンガン、連続放電時間が8分しかなかったんやって」
「え、どう言う事?」
「要するにオレらがここに帰ってくる直前に仕掛けられたってことや。
誰かあやしい人間見かけんかったか?」
「んー…あ、そういえば」
「どうした?」
「なんか家のすぐ近くの角で、変な酔っ払いみたいな人にぶつかった。
すごいガタイしてて、目つき悪くて…」
「何?」
「フラフラしながら歩いていった…」

嫌な予感がした…。
オレは右手の人差し指で自分の右の首筋を指差した。

「なあ、そいつな…ここに…でっかい痣、なかったか?」
「え?泰三さんもその人に会ったの?」

オレは血液が凍りついたような
あるいは瞬間的に沸騰したような
捕らえようのない感覚に襲われた。

あの光景が蘇る。

あの日…12年前、オレを犯した男。
黒澤…。
あいつが…なぜ…ユキヒロを?
震える手で受話器をフックから外した。

「もしもし…」
「あーもしもし、何か心当たりでも?」
「黒澤です…」
「は?」
「12年前、浪速警察署の川口龍次巡査を殺害した、黒澤優です」
「えーと、随分唐突ですが…、何か根拠というか、証拠になるようなものは…」
「目撃証言だけですが…被害者が帰宅する直前に
黒澤と思われる人物とぶつかっています。
オレは12年前、川口巡査殺害の現場に居合わせた者ですが
その時の黒澤の特徴と、被害者の目撃した人物の特徴が一致したので…」

ユキヒロは驚きを隠せない様子でこちらを見た。
なぜまた黒澤が?ユキヒロの目はそう言っている様に見えた。

「なるほど…ちなみにその特徴というのは?」
「向かって左の首筋に大きな痣があったというものです」
「そうですか…ただ証拠としてはちょっと弱いですねえ…」
「そうかもしれませんが、黒澤の懲役期間は12年です。
数ヶ月前に出所しているはずです。調査してもらえませんか」
「そうですね、目撃証言は捜査の参考にさせていただきます。
今後もご協力をお願いするかと思いますがお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。
あ、あと…黒澤の件については浪速警察署の和泉警部が
当時取調べを含めて担当してくださっていたので
そちらに問い合わせていただければ詳しく分かるかと…」
「了解しました。そちらにも問い合わせてみます。それでは、失礼します」
「はい。よろしくお願いします」

オレは受話器を置いた。
ユキヒロが口を開いた。

「黒澤って…」
「あいつや…間違いない」
「泰三さん…オレ、どうしたら…」
「言ったやろ、オレが守るって」
「でも、相手は人殺してるんだよ!?嫌だよ!泰三さんも…」

オレはユキヒロの口を塞いで笑って見せた。

「オレは簡単に殺されへんよ」
「だって…」
「あんな穴のある仕掛けしてくるようなやつに負けへんって!
なんやねん連続放電時間8分て。一歩間違ったら意味なしやんw」

もちろんダメージを与えられなくても
郵便受けからスタンガンが出てくるだけでもショックだと思うが
そんな事を言っても意味がない。
恐怖から逃げるんじゃなく、打ち壊さないとダメだとは分かっていたが
必要以上に怖がらせる必要はない。

「な、だからメシでも食いに行こうや。
優秀なボディーガード様が居るから安心せえって!」
「様…かw」
「お、今笑ったな?この!」
「イ、イヤ!笑ってな…なんk…ヒャハハハハ!
ヤダ!ヤダ!わき腹わき腹!!」

8月の連休最終日。
窓の外から聞こえるクマゼミの声を二人の笑い声がかき消した。